2007年の9月に有給と休暇をくっつけて行った北アルプス上高地〜薬師〜劔岳の7泊8日の縦走の記録だ。
出発は立川からあずさで松本へ。そこからバスで上高地に入る。
上高地からは涸沢まで一日目に行く。
上高地
よく見る位置からの写真だ。
湧き水の池
梓川
2日目
涸沢の朝
奥穂高
北穂へ登っているルートの中腹あたりから撮った。
北穂尾根
この尾根はバリエーションルートとなっている。
北穂小屋に着くと雨が降り始めた。
大キレットの下りもぱらぱらとずっと降っていたが鞍部に着いたあたりで止んできた。
2006年にも北穂から奥穂をあるいたがその時も雨だったのでまだこの辺りの展望をみたことがない。
南岳
午後は雨が強くなりレインジャケットを着ていても長時間雨に打たれ体が濡れているのがわかる。5時半ぐらいに槍の肩の小屋に着きテントを張るが雨はずっと降り続いた。
3日目の朝は霧雨と濃いガスに包まれていた。
槍ヶ岳山頂への岩場の登りは面白かったが山頂からは何も見えなかった。
西鎌尾根を歩いている間のはまさしく暴風雨だった。 ばちばちと音をたてて体をたたく。ザックカバーのバックルを止め忘れ一度は風で30メートルほどカバーがすっ飛んで行ったが岩場で止まってくれて回収できた。 しかし後でザックに着けていたお守りが紐だけ残して飛ばされていた。
双六小屋でカレーを食べて休憩し三俣山荘へ。 山荘のテン場にテントを張る予定だったが小屋の人に今夜はやばいよ(暴風雨が)といわれ、小屋に素泊まりさせてもらった。
正解だった。 一晩中、風が唸っていた。
4日目
三俣山荘前
朝、外にでると昨日何も見えなかった周囲の山々が綺麗にみえる。 雨も風も止んだ。
まだ装備や靴は濡れていたが気分はいい。
山荘から黒部五郎小屋に向かう途中で一度道をまちがえた。 ハイ松を無理矢理越えて100先に見える登山道に戻ろうとしたが15メートル進んであきらめた。 初めて薮こぎの辛さを知った。しかたなく15分程来た道を引き返し登山道を見つけた。
黒部の小屋から一時間ぐらいはまだ木の生えた道を行く。しばらく行くと黒部カールの大きく開けた大きな岩がちらばっている不思議な場所へ着く。 なんとなく神秘的な感じがする場所だった。
黒部五郎岳の山頂から見下ろしたカールだ。
黒部岳から太郎小屋の道
この道を歩いていると、とても平和な気分になれた。
でも太郎平小屋に着く頃にはかなり疲れていた。
太郎平小屋の辺りからみえる夕日だ。 日本海はすぐ雲の下のはず。
小屋から20分ほど薬師峠をあるいていくとテント場がある。すでに4張りほどあった。
5日目 この日は長い行程だ。 5時に出発する。
写真は薬師 もしかして北薬師かもしれない。
薬師の頂上には立派な観音様(おそらく)がいて、単独のおじさんが経を読みはじめた。
とてもいい声で、5分か10分くらいか分からないが思わず聞き入ってしまった。
越中沢岳の稜線から撮った西側の雲だ。
ずっと首の後ろがひりひりして、どこかで傷つけたかと思っていたが理由がわかった。
日焼けだ。 そういえば顔全体も、腕も、ひりひりする。 ここ数日鏡も見ていないから自分の顔がどうなっているか分からなかった。
スゴ乗越小屋から越中沢岳、五色ヶ原へのルートはハードだ。かなりのアップダウンがある上に水場も小屋もない。 体力的に、この8日間で一番きつかったのはここだった。
越中沢岳を越えてしばらくした頃、女性の2人組とすれ違う。時間は3時くらいだった。 一人は若い人だったが、もう一人は母親なのか分からないが年配の方で靴や装備が軽装のようだし足取りもきつそうだ。話してみると年配の方のほうはヘッドランプを持っていない。逆算すると彼らがスゴ乗越小屋につくのは7時近いんじゃないか、またはそれ以上と思い自分のヘッドランプを譲った。 相手がタダという分けにはいかないと、かわりに1000円を貰い受けた。
五色ヶ原
途中であった2人組が心配だったので小屋の主人に話すと、主人も心配していたそうだ。2人組が出発する前に声をかけたのだが、どうしても今日中にスゴ乗越小屋に着く必要があるらしいかった。 主人は電話でスゴ乗越小屋に後で確認をとってみると行っていた。 ヘッドランプの事も話すと小屋にあまっていた古いヤツをくれた。
そして、ここは忘れもしない場所だ。 今でもメールで連絡をとり続けている人と逢った場所だ。 小屋に着くとテント場に一人先客がいると聞かされる。 この人も単独で上高地から入り、黒部湖の方を通るルートで五色ヶ原まで来ていて、向かうは劔岳だ。 同じような事をやっている人がいると知れただけで嬉しくなれた。
この辺りでカメラのバッテリーが切れたみたいだったので写真を撮るのを辞めてしまった。
残念だ。
せっかく次の日は劔岳の下までいけるのに。
6日目は立山の雄山を越えて劔沢のキャンプへ。
雄山は頂上の神社へむかう人達がたくさんいた。ここはすぐ近くにバスターミナルがあるので参拝者や観光客でも簡単に来れる場所だ。
大汝山の小屋でビールを飲み昼を食べた。
立山カルデラを見下ろしながら稜線歩きを楽しみ劔沢の方へ下る。
劔沢につくと五色ヶ原のテン場であった人がいたので隣にテントを張って話をした。
月が眩しい夜だった。 寒かったがテントからでて月明かりに照らされた劔岳の姿をずっと眺めていた。 岩壁の表面の筋まで見えるほど明るかった。 この月明かりの劔岳の美しさは言葉にできない。たとえ写真に撮れたとしても伝わらないだろう。
月はいつの間にか沈み満点の星と天の川が現れた。
あんまり綺麗だからマットと寝袋をテントから引っ張りだし外で寝た。
7日目
劔岳に登る。
危険箇所の多い山で知られている。 緊張はあったが早く頂上に着きたい一心で一気に登った。 山頂は人がたくさんいる。 展望は最高だった。 富士山までみえる。 携帯の電波もあるので皆メールしたりしていた。 その間もどんどん到着する人がいる。仲間と登頂を喜ぶ人、岩の上に座り込み景色に見入っている人、それぞれ様々な思いでここに集まり、そしてまた降りてゆく。
自分の中で劔の山頂がなんとなく終点というイメージがあったので、ここで 「ああ、この旅も終わりか」 と感傷的にならずにはいられなかったが、しかし充実感はそれを勝った。
この日は雷鳥沢まで下りた。 途中に劔岳(点の記)の映画(原作 新田次郎)、の撮影隊が登山道に見えた。 この映画は2009春に上映。 自分は一人でも絶対見に行くつもりだ。小説も2度読んだ。 事実に基づく劔岳開山に関しての話だ。2年に渡る制作と厳しいロケ。期待している。皆さんも是非見てください。
五色ヶ原で逢った人がいたので隣にテントをはり、一緒に温泉に入りにいった。 ここは半分観光地っぽくなっているので立派な宿泊施設もある。温泉では日焼けした腕は痛くてとても湯につけられなかった。 温泉宿では生ビールもワインもあり風呂上がりに3杯くらいビールをのんだ。 このビールは本当の本当にうまいビールだった。このうまさは未だに敗られていない。 テント場に戻ってからも夕闇の中ヘッドランプを点けて、お互いの残ったつまみや食料と温泉宿で買った酒で宴会をした。 相当酔っぱらったのでテントに入ってコンタクトも外さずにすぐに寝てしまった。
8日目
朝起きると、コンタクトと飲み過ぎのせいで顔がむくれていた。
途中でカメラがまだ起動することに気付いたがもう劔岳は見えない。
扇沢まで出る。 雷鳥沢からくろべだいらまで歩いて、黒部ダムの上をあるきトロリーバスで扇沢のターミナルにでた。 道中はずっとおしゃべりしながら歩いた。
五色ヶ原から一緒だった人ともここでお別れとなる。
この旅で改めて山は長くいればいるほど楽しいという事、縦走の楽しさ、そして山での出会いという物を感じれた。